コスモスポーツ コスモ

コスモスポーツ/コスモ マツダの名車シリーズ

社運を賭けたロータリーエンジンへの挑戦

現在の中国がそうであるように、新興国における自動車産業は政府の手厚い保護のもとで育成される。

 

1960年代までの日本もそうだった。ただし、政府は業界のあり方にも口を出す。1961年に当時の通産省が打ち出した自動車業界再編計画は、まさにそれ。国債的な競争力を高めるために、自動車メーカーを3グループに集約しようという構想だった。

 

ようやく軽自動車のR360を出したばかりのマツダは、その構想が具現化されれば大手メーカーに呑み込まれてしまうことは明らか。対抗するには、他社には真似の出来ない武器を手に入れることが必須だった。ロータリーエンジンへの挑戦は、そのための社運を賭けたプロジェクトとして始まった。

 

高価かつ不利な条件で西ドイツのNSUヴァンケル社からパテントを買い、手に入れた試作エンジンはまだ未完成どころか、全く実用に耐える代物ではなかった。

 

のちにロータリー四十七士と呼ばれるマツダの47人のエンジニアたちは、チャターマークと呼ばれるシリンダー壁の傷つきや異常な振動などの難関の乗り越え、1963年に試作エンジンを完成させ、1964年には美しいデザインのコスモスポーツに積んでついに発表にこぎつけたのだ。

 

 

異次元の走りを見せるロータリー

 

コスモスポーツ

 

 

その後も公道を含む耐久テストを続け、1967年にようやく正式に発表されたコスモスポーツは、異次元の走りを見せた。

 

大学卒の初任給が2〜3万円の当時、148万円という価格は現在の感覚なら1000万円級であり、1972年までに1999台余りが造られたに過ぎないが、世界ではじめての量産ロータリースポーツカーの実現は、マツダの名を世界に轟かせるに十分な価値を持っていたのだ。

 

以後、マツダはこのエンジンを発展、改良させながら、ファミリアやカペラ、サバンナなどに搭載して、「ロータリーのマツダ」をアピールする。

 

一方、不可能を可能にする象徴となったコスモの名は、マツダのイメージリーダーとなった。1975年に登場した2代目と1981年の3代目は、おもに北米市場に向けた大柄なボディを持つゴージャスなクーペ。

 

 

コスモクーペ

 

 

 

そして1990年には、世界初の3ローターエンジンや世界初のGPSカーナビを積むユーノスコスモとなり、マツダの最先端技術のショーケースという役割を果たし続けたのだ。
ユーノスコスモ
3代目ユーノスコスモ(1990年〜1996年)
3代目は世界初の3ロータリーを積み、同じく世界初のGPSカーナビも搭載したバブル期らしい高給スペシャリティカー。ジェット機のようなその加速は圧倒的だった。

 


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